ロゴ50周年

History50年の歴史

1972第1期 ~ 第5期
  • 株式会社サニクリーン札幌設立1
  • 株式会社サニクリーン札幌設立2

1972年11月、冬季オリンピックの開催をきっかけに世界から注目を集めていた北海道札幌市に、サニクリーン札幌が誕生しました。
支配人には、サニクリーン長野の支配人代理を務めていた森修氏が着任。現在本社がある平岸地区に事務所をかまえ、まずは人材を集めるところからスタートしました。
5名の社員達とともに積極的に活動しましたが、当時はレンタル事業自体の知名度が低かったこともあり、なかなか一筋縄ではいかなかったようです。慣れない雪に戸惑うことも多く、苦労が絶えない日々でした。北国ならではの需要に応えられるように商品の売り込み方を工夫し、良い契約が獲れるたびに事務所で祝賀会を開いておりました。

1974年4月1日、サニクリーン札幌にとって第1号となる営業所が北海道苫小牧市高砂町に開設されました。同日に開所式が行われ、各地から祝電やお祝いの言葉が寄せられました。当時の苫小牧市は東京・名古屋・仙台などからフェリーが着船しており、北海道の開発計画主要都市として、従来の工業都市から商業都市へと新たな展望がみられる地となることを期待されておりました。

  • 苫小牧営業所開設

1970年には初の企業CMが放送されました。「夢を貸しますサニクリーン♪」というキャッチフレーズは、「所有する」ことが一般的だった当時としては革新的で、レンタル事業を展開するサニクリーンは「借りる」文化の普及に多大な影響をもたらしたと思われます。CM内では、空飛ぶ魔法のジュータン(サニマット)に子供たちが乗り、オフィスのあらゆる場面で使用されているサニクリーンの商品を見てまわる構成で、サニマット・サニモップ・サニクロスが紹介されています。

1979第6期 ~ 第10期
  • 室蘭営業所開設

1979年10月18日、サニクリーン札幌としては2拠点目となる営業所が室蘭市に開設されました。新たに1名の社員を迎えての開所式では、本部からも列席者をお招きして励ましのお言葉や、全国各地からの祝電が多数寄せられました。
当時の室蘭市は人口約17万人(2005年の人口は58年ぶりに10万人を割る)で戦渦からの復興を目指して成長を続けており、道南主要都市の1つでした。新日本製鉄を中心に主に製鉄を中心とした産業が盛んでしたが、他の産業も積極的に取り入れようとする動きがあり、街全体が活発な雰囲気に包まれておりました。また近郊には北海道の名湯登別温泉があり、現在でも道南主要都市の1つであります。

1979年12月24日に、本社・苫小牧営業所・室蘭営業所共同での募金活動が行われました。当時営業部各課に設置されていた貯金箱に貯まっていた約1万5000円に、全社員が1000円ずつ加え、計56,695円がHBC北海道放送の青少年育成募金へ寄付されました。この模様が同「ラジオカー・ハロー号」に生中継で取材され、代表3名がインタビューに応じました。
募金活動はお客様にも反響を呼び、放送を聞いたという得意先から寄付金を預かるなど、顧客とのコミュニケーションも進みました。また、後日贈られた感謝状は本社の八大原則の横に並び、毎朝社員一同を元気づけました。

1980年10月、札幌市北区に、サニクリーン札幌としては3番目、札幌市内では初めてとなる北営業所が開設されました。当時の担当エリアは、札幌市内面積の約1/4、人口の64%を占め、近隣の商業都市・小樽市も一挙にカバーできる商圏でした。北営業所は文字通り札幌市内の北方に位置し、夏は海水浴、冬は豪雪と四季両端の特異ある地域です。当時の北区は自然と共生しながらも市街化を中心とした開発が進み、発展が著しい街でした。また、北営業所が存在するエリアは市内でも有数の競合会社が集う激戦区でもあったため、営業所立ち上げ時の社員4名一丸となり冬のブリザードを溶かすほどの熱意とファイトで邁進する営業所でありました。

1981年1月、札幌市に4拠点目の営業所として中央営業所が開設しました。札幌市の中心街をエリアにもち、官公庁、大手企業、デパートなどが密集していた当時の状況は今も変わらず、当時から競合も激しく札幌一の激戦区でありました。6名の営業マン、2名の事務でスタートしました。

1983第11期 ~ 第15期
  • 本社新築移転1
  • 本社新築移転2

1983年、札幌市豊平区平岸に本社新社屋が完成しました。都心から車で20分程度、地下鉄駅からは徒歩5分程度の交通の便に恵まれた場所でした。また、南西部には札幌のシンボルである藻岩山を望み、緑が豊富で窓を開けると爽やかな風が舞い込んでくる、素晴らしい環境でありました。その外装は界隈でも一際目を引き、当社の広告宣伝にも一役買いました。内部は全体的に明るい色調で統一され、仕事のしやすい事務所となりました。
8月25日には本社で移転式が執り行われ、全国グループ各社の皆様よりたくさんの祝電を頂きました。式には本部より山田社長、鈴木副社長、後藤専務のご臨席を賜りました。席上では、山田社長より「新社屋移転を機に、社員の一人ひとりがスケールアップを目指し、サニクリーンの北の拠点を固めるように」との激励を頂きました。

  • 創立10周年記念式典開催1
  • 創立10周年記念式典開催2

1983年1月28日、札幌京王プラザホテルにおいて、創立10周年記念式典が行われました。本部より山田社長、鈴木副社長、後藤専務、井上常務のご臨席を賜り、全社員出席のもと盛大な式典となりました。エレクトーンの音が心地よく響き渡る中、森支配人の開会の辞によって始まりました。森支配人は10年前、数人のメンバーと1台のルートカーで1件の契約を結ぶことから始まった創業の思い出に触れ、本部をはじめグループ各社様や協力関連企業様、お客様及び関係者の皆様のご支援と、これに一生懸命応えてきた社員のおかげで今日を迎えられたことに感謝を述べました。またこれからも創業の精神を思い起こし、社の内外の人間関係の絆を深め困難が予想される次の時代を乗り切っていこうと決意を固められました。その後パーティーに入り、席のあちらこちらでグラスを片手に和やかな談笑の輪が広がりました。また、様々な余興が演じられ、会場は爆笑と感嘆の渦となりました。最後に、社員一人ひとりが、これからの時代に立ち向かう決意を胸にして、無事式典が終了致しました。

  • 東営業所開設

1986年9月9日、全国で記念すべき150番目の営業所として、東営業所が開設されました。札幌市の中心地からは約13キロ東に位置し、江別市との境界にほど近い通称「新札幌地区」を中心に、その周辺2市1郡をエリアとして活動を開始しました。所員7名、売上500万からのスタートでしたが、4年で売上1千万を突破するという大きな目標を掲げ、これを「ET41作戦」と命名し所員一丸となって注力しておりました。

1987第16期 ~ 第20期
  • 千歳営業所開設

1987年3月11日、北海道では7拠点目の営業所として、千歳営業所が開設されました。総勢4名からのスタートとなりましたが、一同明るさとチャレンジ精神を常に忘れず、顧客に熱意をもって接し、市場拡大に邁進していくことを固く決意しておりました。開設にあたり、激励の電報も多数寄せられました。
サービス展開エリアは千歳市及び恵庭市からなり(当時の人口は約12万人)、北海道の空の玄関口である千歳空港を中心に、商業及び道内の広域経済圏を持つ工業の拠点として発達し、将来ともに期待される都市でした。また、支笏湖や恵庭岳などの観光地もあり、自然に恵まれた環境でもありました。

  • 帯広営業所開設

1988年7月14日、北海道では8拠点目、道東では初となる営業所として帯広営業所が開設されました。開所式には、本部より山田社長、井上常務にご臨席を賜り、当社からは森専務ほか各責任者が参加し、盛大に執り行われました。総勢五名の所員は「常に可能性を信じ、事にあたれ」をスローガンに、熱意をもって臨みました。
帯広市は十勝平野の中心に位置し、酪農を柱として発展しました。当時は、道南の中心都市として発展していこうと、街全体が熱気に包まれておりました。近郊には広尾線の幸福駅があり、相撲では、北勝海に大ノ国と2横綱を輩出。また、ワインで有名な池田町、世界一大きい花時計の音更町、世界に2つしかないモール温泉である十勝温泉など、数多くの観光地がありました。

1990年、レンタル価格の改定が実施されました。この10年前にも、オイルショックの影響によって原材料が高騰し価格の改定を余儀なくされましたが、それ以降は、諸物価や人件費が高騰するなか、消費税導入時には外税方式を用いるなど企業努力を重ねることにより価格の維持に努めておりました。しかし、今後お客様へより良いサービスを提供していくため、また従業員が毎日意欲をもって働ける企業体としていくために、価格政策に踏み切る事となりました。

1992第21期 ~ 第25期
  • 創立20周年記念旅行開催

1992年3月、6日から9日までの3泊4日で創立20周年記念のグァム旅行が催されました。新千歳直行便、名古屋経由便と二手に分かれての出発となり、総勢130名がグァムの地に降り立ちました。現地では、それぞれ昼はショッピングやマリンスポーツ、ゴルフなど、夜はオプショナルディナーショーなどを楽しみました。同じホテルに泊まっていながら全く顔を合わせない人もいたほど、各々が意欲的に活動していたようです。
唯一全員が揃ったパーティーでは、ポリネシアンショーを楽しみ、本場のダンスを伝授してもらうなど、しばし南国気分を満喫しました。
みんな大満足で帰路につきましたが、グァムと北海道の気温差は30度以上。雪景色に気も引き締まり、明日から25周年、30周年へ向けてさらなる前進を誓い合っての解散となりました。

  • 本社新社屋竣工1
  • 本社新社屋竣工2

1993年1月30日、札幌市豊平区に本社新社屋(現社屋)が竣工されました。ワンフロア90坪の5階建てで、幹線道路沿いに立ち並ぶ建物の中でも一際目を引く斬新なデザインでした。外観のみにとどまらず、機能性を重視した内部のレイアウトなど、21世紀を見据えたインテリジェントビルとなりました。
3月2日には、本部の山田社長、後藤専務をはじめとする多数の皆様にご臨席いただき、簡潔ながらも心に残る新社屋移転式を行うことができました。また、全国から心温まる電報を頂戴しました。社員一同、創立20周年の感激を思い起こすとともに、新社屋への移転を機に、将来に向けてのさらなる飛躍を誓い合いました。

1993年7月1日より、新販売管理システムが導入されました。全国統一システム(統合システム)として位置づけられたこのシステムは、本部システム開発部が中心となり、日本オフィスシステムと共同開発したものでした。当グループには、長野、四国に続いての導入となりました。特徴はデータベースにあり、21世紀を見据えた広範な営業ニーズに対応できるようになっておりました。商品コードから各帳票に至るまで全て一新されたため、慣れるまでは大変苦労しておりましたが、本部スタッフの皆様のご協力を頂き無事にスタートを切ることができました。

  • 福祉車両寄贈

1994年2月、老人ホーム社会福祉法人愛全会に、福祉車両「トヨタ・エスティマ」を寄贈致しました。地域の皆様による20年あまりのご愛願に報いるため、“公共性ある社会還元”を目的に、社会福祉法人北海道共同募金会を通じての寄贈となりました。老人福祉施設とお年寄りの自宅がドア・トゥ・ドアで結ばれることになり、2月28日に行われた贈呈式では、「これで冬場の移動が安全になります」と喜びの声が聞かれました。

1994年12月15日にユニフォームレンタル事業部が開設され、翌年の2月1日から商務がスタートしました。ユニフォームレンタル事業の導入にあたり、URシステムの基礎については、本部および各社の皆様にご指導を頂きました。
期待感と不安感が入り混じったゼロからのスタートとなりましたが、ユニフォームレンタル事業において既に10年来の実績を出されている先輩各社の方々を目標に、情熱あふれる事業部員の力を結集し最大限に発揮することを、スタッフ3名ともに固く決意しておりました。

2000第26期 ~ 第30期
  • 第15回サニクリーン大会1
  • 第15回サニクリーン大会2

2000年9月8日、「北のウォール街」として世界に名をはせていた小樽市内の「ヒルトン小樽」で、第15回サニクリーン大会が開催されました。
山田社長は冒頭の挨拶で、各賞受賞者へのお祝いのお言葉と、21世紀を目前にさらなる飛躍への期待を込めた思いを述べられました。また、サニクリーン本部の社名変更の意味について、今後より一層グローバルに大きく発展していきたいという願いが込められており、そのためには一人ひとりの力を結集していくことが大切であると語られました。続いて後藤専務による「方針発表」では、中期的な視野のもと、「商品・サービスの価値の向上」「積極的な市場の創造」「戦略的組織の確立」が、当年度の方針として掲げられました。最後に、グループの結束力をもって計画を積極的に実行し、顧客に喜んでいただけることを成長の糧として21世紀を邁進していきたいとの考えを示されました。
引き続き放映された方針ビデオでは、今後注目される事業を通じて、社会・経済環境の変化にどのような姿勢・行動で取り組んでいくかなどの方向性が紹介され、方針発表の部が終了しました。
森専務の「乾杯!」により懇親パーティーが始まりました。参列者の方々はテーブルに並んだ料理でお皿をいっぱいにし、日頃の苦労を忘れてパーティーを楽しみ、全国のサニクリーンの仲間との交流を図りました。恒例のビンゴ大会では北海道の特産品をめぐり一喜一憂する姿が見られました。
北海道観光では、アウトドアコースは留寿都高原の遊園地や大倉山シャンツェを観光し、アイヌの里コースは白老ポロトコタンでアイヌ文化に親しみ支笏湖でモーターボートを楽しみました。小樽散策コースは古い街並みが残る市内を散策したり、石原裕次郎記念館まで足を伸ばしたりして小樽を堪能しました。羊ケ丘ではクラーク博士像の前で記念写真を撮り、またゴルフの名門・小樽カントリー俱楽部では、サニクリーン杯を目指して熱戦が繰り広げられました。

2001年6月14日、サニクリーン北海道では初めて、オートライフ事業を推進する事業部が開設されました。本社4階の会議室にて、本部山田社長、福島部長ご臨席のもと、事業導入調印式が開催されました。
広大な土地を持つ北海道は車の保有率が全国でもトップクラス、そのうちリース車が占める割合は全国3位と、リースサービスへの関心や需要はとても高い地域でした。オートリース事業の営業を担当する社員は当時わずか2名でしたが、将来的な事業の成長には大きな期待が寄せられていました。

2003第31期 ~ 第35期

2003年3月、19年を経て手狭になっていた旭川営業所が、現在の新富2条に移転致しました。当時8名であったスタッフ総動員で移転作業を行い、机や電話機など、ほとんどの備品を新調しました。事前準備や物資の運搬など、様々な困難もありましたが、初めて新事務所に出社した従業員たちの表情は晴れやかでありました。
旭川市は北海道のほぼ中央にある日本最北の中核市です。 雄大な大雪山系の山々に囲まれ、石狩川をはじめ多くの河川が流れる自然豊かで四季の変化に富んだ美しい街です。行動展示で全国的に注目を集める旭山動物園があり、国内外から多くの観光客が訪れています。

2004年7月、北見エリアの拠点として北見出張所が設立されました。2階建て集合住宅の1階テナント、約40平米という小さな事務所でありました。顧客層はチェーン店が大半で、設立当初は4週約70万のマーケットに対して札幌から既存社員が所長として赴任し、現地採用の新入社員を2名迎え入れてのスタートとなりました。狭い事務所の中に2台並べた机は、1週間分の資材や販売在庫などに囲まれ、真夏の暑さを扇風機1台でしのぎつつ業務に励む光景は、さながら秘密基地のようでありました。

  • サニエル

2005年の夏、サニクリーンの新しいマスコットキャラクターとして、サニクリーンエンジェル(愛称「サニエル」)が誕生しました。
本部販促スタッフが中心となって作られたサニエルには、以下の四つの特徴があります。

  • 明日のニーズをとらえ、環境の変化に敏感な「高感度アンテナ」
  • 美しい環境を見つめる「クリーンな目」
  • 世の中をきれいにする「優しい心」の持ち主
  • どこへでも行ける「可愛い翼」

また、秋には、コラムやゲーム、プレゼント企画など、親子でサニエルが楽しめるコンテンツを多数備えたサイト「サニエルとあそぼ」が開設されました。
それ以降、ホームページや各種印刷物、イベントなど、様々な場所でサニエルが活用されていきました。

2003第36期 ~ 第40期

2008年6月、帯広営業所の新築移転が行われました。当時、旧営業所が創立20年となったことを受け、手狭になった社屋を移転する目的で、家主である(株)松建設の松会長へ相談。その中で、松建設様所有の土地に新築で営業所を開設するという提案を頂き、無事に移転を完了することができました。なお、松建設様による建設の為、建物のレイアウトや要望を現場にて最大限取り入れていただきました。

  • 営業社員社内スキルアップ研修制度1
  • 営業社員社内スキルアップ研修制度2

2008年7月に、営業社員の営業力強化とマネジメント面の向上を目的として社内スキルアップ研修が開催されました。「部下を牽引していける上司」「売上上位を狙う事前準備」「成績が伸び悩む社員の底上げ」をテーマに掲げ、グループミーティングや時代に則した営業戦略の立て方など、より実践的な内容の研修となっておりました。研修を終えた社員は、自分の持ち場に戻り、同僚や部下への情報共有を図り、研修で習得した内容がその後の実務に活かされた事は言うまでもありません。

サニクリーングループが、商品やサービスの提供を通じて長年にわたり培ってきた「おそうじ」に関する様々なノウハウを形にするために「おそうじマイスター制度」が創設されました。この制度は、社内の資格取得制度として「お客様への的確なアドバイス」「やりがいや達成感をお客様と共有」「企業価値の創造」の3点を目的として運用が開始されました。
サニクリーンの社員がおそうじ(クレンリネス&サニテーション)に関する正しい知識や技術を修得し、積極的な提案(コンサルティング)を行うことで、お客様からの信頼と満足度を高め、結び付きを強化することに繋がり、お互いが感謝の気持ちで結ばれていくような関係が構築されることを目標としております。
この制度の運用が、私たちサニクリーンを「よりお客様に近い存在」とし、「お客様から永続的にご指示いただける存在」となり「お客様の満足」とともに「感動」し、「成長」していける企業創りを目指していくことを強く意識するようになりました。

シンボルマーク

2010年7月、長きにわたり愛用されてきたシンボルマークに代わる、新たなトレードマーク(シンボルマーク+ブランドロゴタイプ)が制定されました。
以前のマークが制定されたのは1981年。実に29年ぶりの変更となりました。
この変更には、次の目的がありました。

  • 新しい時代に対応したブランドアイデンティティを表現する。
  • 顧客、取引先、求職者、社会に対して視覚的統一性のあるブランド訴求を行う。
  • 未来に向かって邁進するグループの結束力を高める。

この後、新シンボルマークは、名刺、社章、看板などに随時取り入れられていきました。

2013第41期 ~ 第45期
  • AED

企業理念が問われる昨今、CSR活動(企業の社会的責任)の一環として、2013年7月AED(自動体外式除細動器)のレンタルサービスを取扱うことになりました。DC業界としては初の試みでありました。取扱い前の研修会は2週間で全ての営業所(総勢132名)で行われ、AEDの必要性や使用方法を学びました。初代AED「オムロン社パワーハートG3」は2013年~2016年7月まで累計338台の契約、2016年8月からは「オムロン社レスキューハートHDF-3500」となり順調に契約台数を伸ばしております。

2014年7月、「顧客要求に応える・入札条件を満たす・製品やサービスが環境に対して高いレベルで取り組まれていることを証明し、企業のイメージアップを目指す」というマーケティング視点の目的と、「ISO14001の規格要求をクリアすることで今まで無駄に消費していたエネルギーや資源を減らして生産性を上げる」というマネジメント視点の目的からISO14001の取り組みを開始致しました。本部環境推進室ご協力のもとで社内への環境マネジメントシステムの浸透や教育研修を実施して頂き、スムーズな導入となりました。

給与システムの刷新に伴い、2015年9月より給与明細書の電子化を行いました。メールでの配信で、ペーパーレスによる時代の流れに沿った【省資源化】が達成でき、明細書の印刷・配付などの作業がなくなったため、業務の負担が激減しました。
また、用紙の発注・保管場所の確保などの管理の煩わしさから解放されたほか、従業員自身が明細書データを保管し、いつでも閲覧できるため利便性が高まりました。

2017第46期 ~ 第50期

2017年11月それまでは本社1拠点体制で営業活動を行なっておりましたユニフォームレンタル事業部を、本社と札幌北営業所に営業拠点を2分化致しました。北海道のメイン商圏である札幌とその近郊エリアを効率的に網羅することを主な狙いとした取り組みでありました。営業先への移動にかかる時間短縮はもちろんですが、他事業部との連携が強化されたことによる顧客情報共有のもとで迅速な営業活動を行う事が実現出来ました。

  • 東営業所現在地

2018年7月札幌市内にあります東営業所が同区内に新築移転致しました。東営業所は札幌で最も歴史がある営業所で、開設から40年が経過しておりました。従業員数も徐々に増え、取り扱いアイテムも増加していったため倉庫も手狭になり、さらに建物の老朽化も進んでいったことも重なり移転に踏み切りました。移転後の事務所は建物、敷地ともにそれまでの2倍程の広さになり、札幌市東側エリア及び道央地区を網羅する東営業所としては申し分ない営業拠点となりました。

  • 北海道胆振東部地震による被害状況1
  • 北海道胆振東部地震による被害状況2

2018年9月6日(木曜日)3時7分に北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生致しました。北海道で初となる最大震度7を観測し、3,000万立方メートルの土砂が崩落するなど各地で甚大な被害が発生しました。震源に近い厚真町、安平町、むかわ町を中心に、多数の住家が全半壊し、1万6,000人以上の住民が避難生活を強いられました。農地への土砂流入や用水路の破損など農林関係の被害額は1,145億円に上り、苫小牧港では液状化による沈下などが発生、高規格幹線道路の日高自動車道にも段差が生じ、一級河川鵡川で堤防に亀裂が入るなど、重要インフラにも広く影響が及びました。地震発生から18分後、日本で初めての「ブラックアウト」と呼ばれる北海道全域の大規模停電が発生しました。道内電力需要の約半分を担っている苫東厚真火力発電所停止に加え、水力発電所からの送電線の断線、風力発電所も大量に停止したことが原因です。
これにより当社も発生日とその翌日2日間は自宅待機となり、一切の営業活動を中止致しました。送電の復旧が早い段階で行われ週明けには営業活動を再開することが出来ましたので、被害は最小限に留めることが出来ました。起こりうる天災のために緊急時対応への備えをより強化することとなりました。